彼は、怠け者ではなかった。
むしろ、周囲からは「真面目な男」と見られていた。
地方の進学校から有名私大に進学し、大学時代の成績も悪くない。飲み会で騒ぐタイプではなく、ゼミでもきちんと発表する。就職活動をすれば、それなりの企業には入れたはずだった。
だが、彼は就職しなかった。
大学3年の冬、彼は司法試験を目指すと決めた。
理由は、いくつもあった。
「普通の会社員になって埋もれたくない」
「専門職として生きたい」
「一発で人生を変えたい」
「努力が結果に直結する世界で勝負したい」
そう言えば、聞こえはよかった。
親も最初は反対しなかった。
むしろ、少し誇らしそうだった。
「うちの息子は司法試験を目指している」
親戚の集まりでそう言われるたびに、彼は黙って笑った。
自分はまだ何者でもない。
だが、何者かになろうとしている。
その感覚が、彼を支えていた。
大学卒業後、彼は就職せず、資格予備校に通い始めた。
最初の1年は、希望しかなかった。
最初は、正しい選択に見えた
資格を目指すこと自体は、間違いではない。
司法試験、公認会計士、税理士、弁理士、国家公務員総合職。
難関資格や難関試験に挑むことは、人生を開く手段になり得る。
彼も、それを信じていた。
朝は9時に自習室へ行く。
講義を聞く。
過去問を解く。
答案を書く。
夜まで勉強する。
帰宅してからも復習する。
友人たちが新卒で会社に入り、研修を受け、上司の愚痴を言っているころ、彼は六法と問題集に向かっていた。
最初は、それでよかった。
会社員になった友人たちは、毎日疲れていた。
満員電車に乗り、慣れない仕事に怒られ、安い給料で働いていた。
彼は思った。
「自分は遠回りしているだけだ」
「今は我慢の時期だ」
「合格すれば、一気に逆転できる」
そう考えると、焦りは薄れた。
努力している。
遊んでいるわけではない。
未来のために投資している。
だから、自分は間違っていない。
そう思えた。
一度目の不合格は、まだ挫折ではなかった
最初の試験で、彼は落ちた。
悔しかった。
だが、絶望するほどではなかった。
難関試験は、一発で受かるものではない。
合格者にも複数年かけた人はいる。
予備校の講師も言っていた。
「一度落ちたくらいで諦める必要はありません」
「むしろ、ここからが本番です」
彼は、その言葉に救われた。
親も、まだ何も言わなかった。
「一年目だから仕方ない」
「次は受かるかもしれない」
「せっかくここまでやったんだから、もう一年頑張りなさい」
彼はもう一年、勉強を続けた。
この時点では、まだ撤退できた。
年齢は20代前半。
職歴はないが、新卒に近い年齢だった。
就職活動をやり直すこともできた。
公務員試験へ切り替えることもできた。
資格以外の道を考える余地もあった。
だが、彼は考えなかった。
なぜなら、撤退は「負け」に見えたからだ。
努力している人間は、自分の損失を認めにくい
2年目も、彼は落ちた。
今度は少し重かった。
模試の判定は悪くなかった。
答案練習でも手応えがあった。
自分なりに勉強時間も積んだ。
それでも、結果は不合格だった。
友人たちは社会人2年目になっていた。
仕事の愚痴は言いながらも、少しずつ職場に慣れていた。
一人暮らしを始める者もいた。
彼女と同棲する者もいた。
ボーナスで旅行に行く者もいた。
彼はまだ、自習室にいた。
この頃から、彼は同窓会に行かなくなった。
「今、何してるの?」
その質問が嫌だった。
「司法試験の勉強をしている」
そう答えると、相手は一瞬だけ感心した顔をする。
「すごいね」
「大変だね」
「頑張ってね」
だが、その後に会話が続かない。
相手は会社の話をする。
異動の話をする。
上司の話をする。
給料の話をする。
結婚の話をする。
彼には、話せる近況がなかった。
毎日勉強している。
落ちた。
また勉強している。
それだけだった。
彼は、勉強していない人を内心で見下すことで、自分を保った。
「会社員なんて誰でもできる」
「自分はもっと難しいことに挑戦している」
「今に見てろ」
しかし、その言葉は少しずつ空虚になっていった。
3年目から、勉強は生活ではなく逃げ場になる
3年目に入るころ、彼の生活は崩れ始めた。
最初のころのように、朝から自習室に行けなくなった。
夜更かしをする。
昼前に起きる。
午後から勉強する。
集中できずにスマホを見る。
夜になって焦り、深夜まで机に向かう。
勉強時間は長い。
だが、密度は落ちていた。
彼はそれを認めたくなかった。
「今日は調子が悪いだけ」
「明日から戻す」
「直前期になれば集中できる」
そう言いながら、日々は過ぎていった。
この時期、彼の勉強は合格するためのものというより、社会に出ない理由になり始めていた。
履歴書を書くのが怖い。
面接で空白期間を聞かれるのが怖い。
同年代の会社員と比較されるのが怖い。
年下の社員に教えられるのが怖い。
だから、彼は勉強を続けた。
勉強している限り、自分は無職ではない。
挑戦者でいられる。
まだ終わっていない人間でいられる。
「受験生」という肩書きは、彼にとって最後の防波堤だった。
親の支援は、優しさであり、延命でもあった
彼の生活費は、主に親が出していた。
最初は予備校代だけだった。
次に家賃。
次に生活費。
模試代、教材費、交通費。
親は裕福ではなかったが、息子のために出した。
「ここでやめたら、今までのお金が無駄になる」
「あと一年で受かるかもしれない」
「本人も頑張っている」
親もまた、損切りできなくなっていた。
彼が落ちるたびに、家族会議のようなものが開かれた。
父は言った。
「そろそろ就職も考えたらどうだ」
母は言った。
「でも、ここまでやったんだから、あと一年だけ」
彼は黙っていた。
本当は、自分でも限界を感じていた。
だが、父に「やめろ」と言われると反発した。
母に「頑張って」と言われると、まだ続けていい気がした。
親の支援は、ありがたかった。
しかし同時に、彼が現実と向き合う時期を遅らせた。
生活に困らない。
家賃は払われる。
食費もある。
自習室にも行ける。
だから、彼はまだ崩れずにいられた。
だが、崩れていないことと、前に進んでいることは違った。
20代後半で、同年代との差が見えるようになる
20代後半になると、差は目に見える形で現れた。
友人たちは、転職を考え始めていた。
結婚する者もいた。
子どもが生まれる者もいた。
住宅ローンを組む者もいた。
彼はまだ、試験会場に向かっていた。
SNSを見るのがつらくなった。
同期の昇進。
結婚式の写真。
新婚旅行。
子どもの誕生。
転職成功。
海外赴任。
かつて同じ教室にいたはずの人間たちが、少しずつ別の世界へ行く。
彼はスマホを閉じる。
参考書を開く。
だが、文字が頭に入ってこない。
この頃から、彼は試験そのものより、自分の年齢に追われるようになった。
今年受からなければどうなるのか。
来年も落ちたらどうするのか。
30歳を超えたら就職できるのか。
職歴なしの自分を、どこが採るのか。
不安が増えるほど、彼は逆に撤退できなくなった。
ここまで来てやめたら、何も残らない。
そう思ったからだ。
だが、実際には、続けても何も残らない可能性が高くなっていた。
別の資格へ逃げる
司法試験から、彼は一度撤退した。
ただし、就職したわけではない。
「行政書士を取ってから」
「公務員試験に切り替える」
「法律知識を活かせる資格を狙う」
「司法書士なら現実的かもしれない」
そう言って、別の試験に移った。
一見、合理的な判断に見える。
これまでの勉強を活かせる。
完全な撤退ではない。
資格を取れば就職や独立につながるかもしれない。
だが、彼の本音は違った。
就職活動をするのが怖かった。
職歴の空白を説明するのが怖かった。
面接で落とされるのが怖かった。
社会人として何もできない自分を見られるのが怖かった。
だから、別の資格へ移った。
新しい教材を買う。
新しい講座に申し込む。
新しい試験日をカレンダーに入れる。
すると、不思議と少し安心した。
また目標ができた。
まだ自分は終わっていない。
まだ挑戦している。
しかし、それは再出発ではなかった。
先送りだった。
「もう少し」が、戻れない遅れになる
30歳を過ぎたころ、親の態度が変わり始めた。
父は定年が近づいていた。
母も体調を崩すことが増えた。
家計に余裕がなくなってきた。
「いつまで続けるつもりだ」
「生活費を自分で稼げ」
「バイトでもいいから働け」
そう言われるようになった。
彼はアルバイトを始めた。
塾講師。
資格予備校の事務補助。
短期の事務派遣。
コールセンター。
働けないわけではなかった。
だが、長く続かなかった。
年下の社員に指示される。
同年代の社員が管理職になっている。
自分より若い人間が正社員として働き、ボーナスをもらい、責任ある仕事をしている。
その現実がつらかった。
彼は、自分に言い聞かせた。
「これは一時的な仕事」
「本命は資格」
「合格すれば状況は変わる」
だが、もう資格にかける集中力も落ちていた。
体力も落ちた。
記憶力も以前ほどではない。
何より、自分が合格する未来を心から信じられなくなっていた。
それでもやめられない。
「もう少し」
「今年だけ」
「あと一回だけ」
その言葉を繰り返しているうちに、彼は35歳になった。
履歴書の空白は、本人より先に語り始める
35歳を過ぎて、彼はようやく本格的に就職活動を始めた。
だが、履歴書を書いた瞬間に、自分の現実を突きつけられた。
大学卒業。
その後、資格試験勉強。
短期アルバイト。
派遣。
また資格試験勉強。
また短期アルバイト。
職歴として書けるものが、ほとんどなかった。
書類選考で落ちる。
面接に進んでも、必ず聞かれる。
「卒業後は、ずっと資格の勉強をされていたんですね」
「なぜ途中で就職しなかったのですか」
「今後は資格を諦めて働くということでしょうか」
「うちで長く働けますか」
彼は答える。
「専門性を身につけたかった」
「法律知識を活かしたい」
「今後は腰を据えて働きたい」
嘘ではない。
だが、面接官の表情は厳しかった。
企業が見ていたのは、知識だけではなかった。
毎日決まった時間に出社できるか。
上司や同僚と働けるか。
年下の指示を受け入れられるか。
責任を持って業務を続けられるか。
失敗したときに逃げないか。
彼には、それを証明する職歴がなかった。
履歴書の空白は、彼が説明する前に語っていた。
「この人は、長い間、社会の外にいた」
と。
最後に彼はどうなったのか
最後に彼は、正社員ではなく、契約社員として働き始めた。
法律事務所でも、大企業でも、専門職でもなかった。
地方の小さな会社の事務職だった。
給料は高くない。
年下の社員が上司だった。
入社初日、彼はコピー機の使い方を教えられた。
経費精算のルールを教えられた。
電話の取り方を注意された。
屈辱だった。
だが、それが現実だった。
彼は、何度も思った。
「自分は何をしていたんだろう」
20代のほとんどを、勉強に使った。
親の金も使った。
友人関係も薄れた。
恋愛もほとんどしていない。
職歴もない。
貯金もない。
手元に残ったのは、不合格通知と、使い込んだ参考書と、説明しにくい空白だけだった。
資格の知識が完全に無駄だったわけではない。
法律の基礎知識は、仕事で少し役に立つこともあった。
文章を読む力もついた。
我慢して勉強した経験もある。
だが、それだけでは取り戻せないものがあった。
新卒カード。
20代の職務経験。
社会人としての積み上げ。
人間関係。
親との信頼。
自分は努力すれば報われるという感覚。
彼は破滅したわけではない。
ただ、普通に社会人として積み上げられたはずの10年を、合格しなかった試験に差し出してしまった。
それが彼の末路だった。
これは、夢を追う人を笑う話ではない
この話の本質は、
「資格浪人をした男が落ちぶれた」
ではない。
むしろ、こうだ。
努力している人ほど、自分の撤退ラインを決められないことがある。
遊んでいたなら、諦めやすい。
怠けていたなら、反省もしやすい。
だが、努力していた場合は違う。
勉強した時間。
払った予備校代。
支えてくれた親。
断った就職先。
離れていった友人。
犠牲にした20代。
それらが大きいほど、人はやめられなくなる。
「ここでやめたら全部無駄になる」
そう思ってしまう。
だが、現実は逆である。
続けることで、さらに失うこともある。
撤退は、敗北とは限らない。
時期を間違えなければ、撤退は人生を守る判断になる。
問題は、夢を持ったことではない。
資格を目指したことでもない。
努力したことでもない。
問題は、撤退条件を決めないまま、人生の主要な時間を一点賭けにしてしまったことだった。
どこが分岐点だったのか
彼が間違えたのは、司法試験を目指したことではない。
難関資格に挑戦すること自体は、立派な選択だった。
本気で勉強した時間も、無意味ではなかった。
本当の分岐点は、最初の不合格でも、2回目の不合格でもない。
「あと一年だけ」を、何度も繰り返したことだった。
何歳までに合格できなければ就職する。
何回落ちたら方向転換する。
何万円以上は親に頼らない。
何年以内に職歴を作る。
そういう撤退ラインを、最初に決めていなかった。
人生には、頑張れば報われるものもある。
しかし、頑張っても報われないものもある。
そして、報われない努力を続けるほど、次の選択肢が狭くなることがある。
彼は、怠けて転落したのではない。
努力の方向を変える勇気を持てなかった。
それが、彼を遅らせた。
仕事やキャリアの転落は、突然起こるとは限らない。
毎日机に向かっている。
問題集を開いている。
模試を受けている。
予備校に通っている。
見た目には、前に進んでいるように見える。
だが、社会との接点を失い、職歴の空白が伸び、年齢だけが重なっていくなら、その努力は自分を守ってくれない。
彼は最後に、こう言った。
「落ちたことより、やめる時期を決めていなかったことが一番まずかった」
夢を追うことは悪くない。
ただし、夢には期限がいる。
期限のない挑戦は、いつか現実から逃げるための言い訳になる。
そしてそのとき、人生は壊れるのではない。
戻れる道が、静かに消えていく。